沖縄から読脳発信

本部より新セミナーが始まります。読脳ーCWナショナルスクールHPでご確認ください!

読脳・・・「見えない力の存在」

 

読脳とは、自分または相手の脳の情報を読む事です。

では脳の情報とは何でしょう。

それは、ある事柄に関して自分の脳に問いかけ考えると脳神経細胞のネットワークがコミニュケーションしだし、問いかけに対してそれに近い答えを出してくれます。

これを情報として捉え、出て来た答えが正しいかどうかを自分のセンサー(脳からの合図)で確認します。さらに、これで全てと言うまで同じような問いかけを行い、今はこれが最上かと問いかけて、イエスが出て来たら、その時の最上の情報なのです。

人は誰しも自分らしく幸せな人生を歩みたいと願っています。

ところが多くの人は、自分とは、自分らしく生きるとは、どうゆう事なのかの自己探求に必要な問いかけが出来ないのです。何故か。

「読脳」開発者の伊東聖鎬は「特に若い時の感性が敏感な時に行う問いかけ、自分とは、生きるとはの体験や経験が少なく、それによって思考の深さも充分でない事で自己探求が出来ない理由に繋がる」と言ってます。

自分の又は他人の脳の情報を正確に読むには「人」を知る事が大切です。

人間とは、生きるとは、どういう事なのか。

伊東聖鎬は若い頃から人や生きると言う事に関心を寄せ、100の地域で100の仕事をすると言う実践を通して「人研究」を続け人生体験をしてきました。

その結果、医学や化学では証明できない、地球と言う星で人間が正常な身体の状態で生きて行くための様々な現象、システム、(目に見えない力)の存在を発見しています。

それらが身体に及ぼす影響を現代人は知りません。

 

「読脳」と言うメソッド(方法)を学ぶにあたって、そのような目に見えない力の存在。

つまり、人類が知らない(科学的にも人類は宇宙の95%の事を知らない)宇宙の叡智(真理)をどの程度、信じる事が出来るか、と言う人の考え方や姿勢、生き方に脳の情報を読むと言う読脳の技術が関わっているのです。

それは自分の存在を宇宙レベルから考え、地球と言う星に生きる生命体として捉える。

その上で、他の動物とは違う「思考」と言う能力を持った人類ホモサピエンスの身体的なメカニズムの存在。それらを理解する事が人の幸せな生き方に繋がることを知る事です。

当然ながら精神的(心、気持ち、意識)な力の作用が、ほとんど全ての面で肉体にも影響を及ぶすことを認識する事です。

 

宇宙の始まりはビックバン

宇宙は今も広がり続けている事を現代科学では述べています。

伊東聖鎬は宇宙の始まりを「無が無で無くなり、有が現れた」その有の現れた瞬間を「元」と表現しています。

広がり続けて来た宇宙空間において星々が誕生し、100数億年前後の歳月を得て太陽系が出来、地球と言う星に人類も誕生したのです。

そして私達の脳や身体には、その「元」からの進化の全てが情報として届いているのです。

その「元」からの情報の中にある宇宙の真理の追究、自分の存在の追求が「読脳」を学ぶ事なのです。だからこそ読脳は奥が深く学ぶ難しさがあります。

 

作られた現代社会の物事における人々の価値観や人生観は様々です。

自分らしく幸せに生きるとは、どういう事なのか。幸せとは、人が生きるとは。

そんな哲学的な考えを深めながらも日々の社会生活の中で自分の存在、自分らしさの追求の難しさがあります。

しかし伊東聖鎬は言います。誰でも努力すれば「読脳」が出来るようになります。と!

「元」から届いている情報の中に宇宙の真理、見えない力の存在、人間ホモサピエンスとしての身体のシステムがあります。

そして、あなたが求めている全ての答えは「情報」として、あなたの脳の中にあるのです。

 

 

教育によって騙された・・・「学ぶとは」

 

現在の学校教育はご承知の通り知識偏重教育です。

本来、教育とは「教えて知能をつける事、人の心身両面に渡って、その人の才能、技能を伸ばす事」と定義されています。

知能とは、問題解決能力や抽象的な思考力、学習能力などを指し、物事を理解したり判断する力。又は、特定の能力ではなく目的を持って合理的に行動し環境を処理する総合的な能力とも定義されています。才能とは、物事を巧みにこなしうる生まれつきの能力です。

何処にも知識の文言はありません。

つまり、現在学校で行われているほとんどの教科指導の授業や試験の為の勉強中心の教育は本来の教育ではないのです。

 

学ぶとは、どう言う事でしょう。

私は読脳を勉強し、60歳後半になってやっと分かってきたように思います。

人は教わることによって学ぶものはほとんどありません。人は自ら学ぶ事によって知識や考え方、行動が身に付くのです。

 

だから現在のような学校に行って知識中心に教わることに意味はありません。

中卒、高卒、大卒を得て社会人となり、中卒の同窓会で会う同級生を見ればわかる事です。3~7年長く学校に通った人達と知能や能力の差が現れているでしょうか。

人は自分のやりたい事を行動に移し、自ら考え、体験することによって学び知能や能力が身に付くのではないでしょうか。

 

今日の意味のない学校教育も戦後(1945年)のGHQの政策によりアメリカの教育制度の導入によって始まりました。しかし、小、中学校の飛び級制度は日本には無し、高校の進級制度は名ばかりで、大学の受験入試制度の存在などは、結果として日本の学歴重視社会を作りました。それもアメリカの意図的な教育政策だったのでしょうか?

 

現在、日本の資本主義社会において、お金の価値観で人の能力を評価する高収入、高学歴の社会構造は多くの人々の意識をなかなか変える事が出来ません。

学校で行われている知識偏重教育は数十年前から問題視され、就職における学歴社会の現状は崩壊に向いているにもかかわらず、今だに多くの親は、わが子を高学歴に向かわせ収入の面に関しては安心、安全な職業の公務員や教員にしたがります。

 

私は大卒依頼34年間、中学校の現場を中心に教員として東京、沖縄で勤めてきました。

高卒を前に漠然と教える事が好きだから、教師になろうと考え大学進学を決めたのです。

しかし、教育現場で気づいたのは自分は教師には向いていないと言う実感でした。若い頃は教科書の中身を伝えるだけの授業しか出来ない教師だったのです。

それでも子ども達との触れ合いは楽しく、特に部活動(バレーボール)の顧問としての指導においてはチーム作りの楽しさ、監督業と言う仕事は自分に向いていると言う実感があり、自信と実績を残すことが出来ました。

 

また、若い頃は、子ども(生徒)の活動を中心に考えない管理職者のおかしなルールによく反発し教頭や校長との口論も多くありました。さらに、今思えばどうでもいい学校の規則を生徒に押し付け暴力沙汰になったことも数回経験しました。

それでも、収入の面では確かに少しずつ給料は上がって行きました。

 

しかし教育現場で行政規則の都合にいい運用を体験しています。

中学校の技術科免許しか持っていない私は1年間、東京の支援学校の高等部(高等学校)に担任として勤務しました。

教育委員会が臨時の免許状を作って高等部勤務を認めたからです。何を根拠に認めたか分かりません。手元に臨時免許状が届いただけです。

離島勤務では小学校の国語の授業を2年間受け持ちました。教員不足から来る職場での都合の良い運用です。授業参観の度に不満そうな親が私の授業を探るように見ていました。私にとって週2時間とは言え、心苦しい時間でした。

 

他にも行政の都合の良い建前主義の制度運用はあります。

同じ教員免許であっても県によって教員採用試験があり試験内容もバラバラです。しかし臨時の教員なら採用試験を受けなくても県をまたいでの就職は可能なのです。

建前上の仕組みの運用で、ある意味学校の状況によって犠牲になるのは子ども達、騙されているのは親や一般の人々です。

 

そして、40歳半ばにして生徒指導の矛盾や、建前主義の対応(親や教育委員会)にうんざりして学級担任をやる気が無くなり本気で退職を考えましたが、私の3人の子どもはまだ幼く、転職し家計を支える自信もなく、56歳での勧奨退職まで十数年間いやいやながら教師を続ける羽目になりました。

 

今、思える事は学校教育の本質を知らず、自分らしくない行動も多く、社会の規範意識が正しい事であり、生徒にも必要なのだという価値判断しか出来なかった情けない教師生活だったと思います。

私は、教師と言う職業をどう捉え向き合うか、という事を真剣に考える事も出来ずに損、得、駆け引き、取引き、条件付きの価値観や人生観で過ごし、国や行政に騙され利用された働き手でしかなかった。

基本的にはそんな34年間の教員生活だったと思います。

 

確かに収入の面で安心、安全な職業は公務員、教員なのでしょう。

しかし、職場は建前主義の縦社会であり、上下人間関係の構造の中では出る杭は打たれます。自分の意見を議論できる言論の自由はほとんどありません。人事や転勤も思うように希望は叶わないのです。

そんな公務員、教員の職場は、考えてみれば国の都合の良い働き手であり、騙されている現代の奴隷のような立場ではないでしょうか。

そんな職場が、あなたや親が望む理想の仕事、職場なのでしょうか?

また、高収入の安心、安全な環境が幸せに自分らしく生きる人生の場なのでしょうか?

 

伊東聖鎬の言う、多くの人が現代の資本主義社会において「損、得、駆け引き、取引き、条件付きの価値観で生活している」と考えます。

私たちは国やメディアの偏った、又は嘘の情報に惑わされ騙される事によって気づかないうちに、誘導された価値観や人生観の中に生活し、過ごしていると思います。

学校教育も同じこと、でたらめな社会科の歴史教育、何年勉強しても上手に話せない、おかしな英語教育、それが必修であり受験科目なのですから。

当然、そんな騙された情報や教育の中では自分らしく幸せに生きる人生には繋がらないと言う事です。

日本の歴史から見ると、近代(明治以降)から西欧思想への偏った憧れ、特に戦後7年余りの占領時GHQの教育政策と国やメデァ操作によって、私たちは騙され、偏った情報の中で生きている現在の状況(環境)を認識し、人生観を見直すべきです。

 

そして、あらためて学校教育とは、学ぶとは、自分らしい仕事、職場とは、何か。

自分なりの考えをしっかりと持ち、将来の職業を選択するべきだと思います。

また、子を持つ親や大人が早い段階から子どもと真剣に向き合い、将来の人生を語る事ではないでしょうか。

教育について社会の状況をしっかりと認識し親子で、あるいは大人同士語るのです。

そして、親は子どものやりたい事は何か、希望は何か、常に観察し、又は聞いてあげる事ではないでしょうか。

 

読脳を学ぶとは宇宙、地球、人類ホモサピエンスとは、そんなレベルからの哲学的な学びであり、自分らしく幸せに生きるための人生観を考える、自己探求の世界なのです

 

全ての人に「元」から届いている同じ情報が脳にあります。

眼に見えない力の存在を認識し、それを信じる事です。

読脳の技術を活用できる事は、自分らしく生きるための人生に繋がります。

幸せとは、生きるとは、人生はいろいろな出来事(楽しい、辛い)の繰り返しです。

生きるとは、常に自分との闘いなのでしょう。状況は違っても、ある意味で勝ったり負けたり、それが人生だと思います。

 

脳の情報を読んで、自分らしく幸せに生きる事が可能です。

あなたが求めている全ての答えは、情報としてあなたの脳の中にあるからです。

 

そんな奥深い哲学の学び、人生の学び、読脳の考え方を体験してみませんか?

  日程、参加項目(あなたの求めている事)等は、本部HPでご確認ください。

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